前提を疑う

先日、ある本を読んでいたら、次のような簡単な論理思考の問題がありました。

AとBの2つの有名な絵画があります。
「Aが偽物なら、Bは本物」という前提があったとき、Bが偽物なら、Aの本物でしょうか、偽物でしょうか。

答えは「本物」です。
論理思考の得意な人は、「そりゃそうだ」「なるほど」と思うでしょう。
なんで、本物、偽物、どちらの可能性もあるじゃないか、と思う人は論理思考が苦手な人かもしれません。

次のように考えれば、簡単です。

AとBの本物・偽物の組み合わせは以下の通りです。
  ①A本物・B本物  ②A偽物・B本物(前提)
  ③A本物・B偽物  ④A偽物・B偽物 ✕
②が前提だとすると、④の選択肢はなくなります。
残りの選択肢のうち、Bが偽物となるのは、③だけですから答えは「Aは本物」となります。
パスルとして考えたときの答えは、この通りです。

しかし、論理的思考にさらに詳しい人は、次のように言うかもしれません。
「ある条件をクリアすれば、Aは本物だが、偽物である可能性もある」

ある条件とは何でしょう。それは「前提が正しければ」です。
前提が正しくなかった場合、④の選択肢は排除できなくなります。

先にパズルとしての答えと言いましたが、現実世界(実務)を論理思考で考える場合、前提となるのは、一般的な常識や過去に学んだこと、経験、あるいは演繹的に導き出した仮設です。
しかし、新たな課題を解決するとき、これらの前提が絶対に正しいとは限りません。
私達は、常識や知識、あるいは過去の経験を正しいものと思い込んで、行動することが多いものです。
多くの場合、これらの前提で論理的に考えれば、問題は解決できます。
しかし、時には自分の知っている「常識」「知識」「過去の成功体験」を疑い、物事を考えることも大事なのではないでしょうか。
知識や経験の豊富な人ほど、前提に固執し、大きな失敗を起こす可能性もあるのです。